経歴
東邦音大付属東邦中学卒業
東邦音大付属高等学校卒業
東邦音楽大学ヴァイオリン専攻卒業。
在学中は元N響の蓬田清重氏に師事しN響団友オーケストラにて全国各地を周り演奏する。
また、弦楽四重奏での演奏活動やアマチュアオーケストラのエキストラなどを多数経験する。
在学中ウィーンへ短期留学(東邦ウィーンアカデミー)し、イエラ・スピトコヴァ氏に師事する。
卒業後自宅にて15年間バイオリン・ピアノ教室を開講し後進の指導に力を注ぐ。
最近では地元公民館や保育園、病院、着付け教室、介護施設等での依頼演奏を多数行なっている。
弦楽四重奏「フレーシア」やピアノ三重奏「樹音」などを結成し演奏会を開催したり、いろいろな編成で音楽の素晴らしさ、楽しさを伝える活動をしている。
musica rossaヴァイオリン・ヴィオラ教室でヴァイオリン講師を務めている。
音楽イベントプロデューサー
音楽団体「オブリガート」会長就任
Musica rossaバイオリン教室講師
さいたま市大宮音楽家協会会員・戸田市民音楽家協会会員
私にとって音楽とは
私の音楽を聞いて涙するお客様を見て、音楽は人の心を癒したり生きる希望を与えたりするのだなと感じています。
この半生で色々なことを経験し、やっと生きる希望が見えてきた。そして人生が楽しくなってきた。
今までの経験がなかったらいつまでも殻の中に閉じこもり、安心安全を求めて一歩を踏み出さずに一生を終えていたかもしれないと思うと、今までの経験に感謝です。
その私の感情が、バイオリンの音色に乗っていくのだと、思っています。
私にとって音楽とは、聞いてくれた人の人生で得た経験や感情を、音によって生きる希望や感謝に変えていくことなのかもしれません。
これからも体が許す限り、私を必要としてくれる人のために活動を続けていきたいと思っています。
バイオリンと共に
幼少期のバイオリンとの出会い
私と音楽の出会いは、母のお腹の中です。ピアノ講師である母のお腹の中で毎日ピアノを聞き音感が育ち、絶対音感が付くようになりました。
3歳くらいの時に鈴木メソードのバイオリン教室へ行きましたが、レッスンに行ってもケースの蓋を開けずにそこでバイオリンはやめたようです。 その頃から続けていれば今頃は。。もう少し上手になっていたかもしれません。
小学校3年生くらいになるとまた母はバイオリンを私に習わせました。
その後東邦音楽大学付属の中学にバイオリン専攻で受験し、大学卒業まで10年間東邦音楽大学の系列の学校に通うこととなります。
バイオリンがあまり好きではなかったことの一つに、実技試験にピアノ伴奏者を同伴しなければならず、内気な性格の私にはとても気が重いものでした。
徐々に心境の変化からの諦め
大学に入学した頃からアマオケのエキストラやカルテットでウェディングドレスのショーの伴奏をしたり、恩師のN響団友オーケストラで地方遠征で演奏したりと活動の幅を広げるにつれてアンサンブルの楽しさ、演奏旅行の楽しさを徐々に感じ始め、演奏旅行が将来の夢となりバイオリンがなくてはならない存在になっていました。
バイオリンを好きになったはいいが、プロになるには(世界をまたにかけて活動するには)致命的な遅さでバイオリンを始めたので、コンクールなどに出場したこともないし留学なんてもってのほか、と思っていました。
大学卒業時には就職氷河期と言われていたので、オケに入るのにも実力が不足していたし楽器店で教えることも私には出来ないと思っていたので、卒業後すぐ結婚しました。
しかし、結婚して子供を育てていたらバイオリンも弾けなくなる、演奏旅行なんて夢のまた夢だ、と音楽活動を全く諦めていました。
ブランク後の再出発
2人の子育てに没頭しバイオリンのブランク時期が10数年。
やがて下の子の同級生に頼まれて自宅で教え始めるようになりました。
子供は苦手でしたがレッスン開始すると楽しくなり、数年で教室は満席になるくらい成長しました。
同時に地元でママ仲間で音楽グループを作り、保育園・幼稚園で演奏するようになります。 そしてその活動を知り、弦楽アンサンブルを立ち上げるので指導者になってほしいと公民館側からの要望もあり、毎年弦楽アンサンブルで演奏会を開催するようにもなりました。
どん底人生からも、また
ハタからみると順風満帆に見えたでしょう。 我が子たちも何の問題なく成長し、充実した活動。
しかし、レッスンでとても忙しく、演奏活動もあまり出来ていない。というか疲れてできない。
カルテットやオーケストラでの活動は細々と続けていましたが、私の求めるものとは少し違うなあ、と思っていました。
そんな毎日が突然終わります。 家庭の事情で、ある日突然教室を閉めなければならなくなり、生徒全員を手放さなくてはならなくなりました。
断腸の思いで教室を閉め、新たなスタートを切る決断をしました。
その時は、もうバイオリンは弾かない。バイオリンを捨ててしまおうか。全く違うことをしてみたい。 そう思ってコーチングや色々な学びを始めました。
その時は、バイオリンを弾かないってなんて楽なんだろう、と解き放たれた感じがしました。
人生の転機の出会い
職を転々とし、今まで専業主婦や自宅で教室を開いていて家から出て働いたことがあまりない私には、外で働くことがとても楽しかった記憶があります。
しかし、以前の音楽仲間からの演奏会出演のお誘いが後を絶たず、フルタイムで働いて夜練習、土日に合わせ練習や本番が入る生活が私には体力的にもたなくなりました。
そんな時に、仕事を辞めピアノトリオで活動していこうと決心する人に出会います。
トリオのメンバーの生徒さんで体か動かせない難病を抱えているけれども、会社を作り精力的に活動されている方を知りました。
こんなに不自由で寿命も見えているのにこんなに前向きで全力で生きている。それに比べ私は将来の不安ばかりで何も行動を起こすことが出来ていない。
もしかしたら明日には死んでしまうかもしれない(東北大震災では実父を一瞬で亡くしています)のに悔いはないのか? このままでいいのか、やりたいことをやらなくていいのか、出来ないと思っていることでもやってみてもいいのではないか。自問自答を続けました。
その人との出会いによりフルタイムの仕事を辞めバイオリン一本で活動していこうと決心できました。
大学同期生とピアノトリオ樹音を結成し、地道にコンサート活動をし、保育園・幼稚園での依頼演奏、介護施設への訪問演奏へと発展していきます。
そしてカルテットや室内楽でも演奏会を開くようになり、ソロでの活動もするようになりました。
現在は演奏活動、レッスンと共に、音楽イベントプロデューサーの勉強をしています。